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野球の背番号0!何か意味がある?プロ野球の主な選手もご紹介!

こんにちは、みっつです。

0という数字、スポーツの背番号で使われるのって、何となく違和感があるのは私だけでしょうか?数字は1から始まるというのが染み付いてしまっていて、どうも慣れないのです(^_^;)

日本で80年以上の歴史があるプロ野球でも、背番号0をつける選手が現れたのは30年位前からと、比較的歴史が浅い印象ですね。

元々は使われていなかった背番号0、今回はどのような意味や歴史があり、どのような選手がつけてきたかをご紹介したいと思います。

ご注意
ご紹介する内容は、筆者の思いや推測が含まれています。また正確さを保証している訳ではありませんので、御理解の上お読みください。




プロ野球での背番号0の意味

冒頭でも触れましたが、背番号0は一桁の番号にもかかわらず、やはり背番号として使われるのは、私は違和感があるのです(^_^;)最初につけた選手が、当時からのファンである広島カープの選手にも関わらず(笑)

それは、背番号としてかつては存在しておらず、歴史も浅い事も影響している気がします。

元々、プロ野球で認められていた背番号は、1番から99番でしたが、現在では0番と00番も認められています。ただし、使用を許可していない球団も存在しているようです。

また、高校野球では背番号0は存在しておりません。

プロ野球以外では、サッカーなど背番号0を取り入れていないスポーツの方が、圧倒的に多いです。

プロ野球では高校野球でつけていた番号に愛着を感じ、プロ野球に入団後も同じ背番号を好む選手が少なくありません。しかし、背番号0をつけることは、あえて高校時代に存在しない番号を選択することになります。

プロ野球で背番号0の意味するところは、特異な番号をあえて使用することであり、とても目立つ事とも言えますね。あえて目立つ番号をつける事によって、自分を奮い立たせる狙いもあるようです。



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最初に背番号0をつけた選手は?

プロ野球で最初に0をつけたのは、広島カープの長嶋清幸選手です。それ以前に、練習生が背番号0をつけていた記録はいくつかありますが、公式戦に出場した記録では、長嶋選手が最初となります。

長嶋選手が背番号をつけるきっかけは、アメリカ大リーグのアル・オリバー選手が背番号0をつけた事にあります。アル・オリバー選手は、1982年にナショナル・リーグで首位打者を獲得した名選手です。

長嶋選手は、このアル・オリバー選手に憧れ、入団4年目である1983年から自分から望んで背番号66から0に変更しました。背番号0に変更をしたことで、レギュラーの座を獲得し、活躍をするようになりました。

当時からの広島カープファンである私、目立つけどとっても違和感があった事を覚えています。

0ってカッコよくない…

10代の私には、そう写っていました(^_^;)

しかし長島選手にとって、背番号0はラッキー数字となりました。最初につけたという事で注目されて、それを良い意味での励みにしたのです。

長嶋選手がプロ野球で大活躍できたのは、背番号を0にしたという決断も大きかったかもしれませんね。



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プロ野球での主な背番号0の選手

今では珍しくなくなったプロ野球の背番号0。多くの輝かしい成績をおさめた選手が出ています。今回は背番号0で活躍した5人をご紹介します。

木村拓也選手

生年月日  1972年4月15日
出身地   宮崎県
投/打   右/右・左
プロ野球歴 北海道日本ハムファイターズ(1991年~1994年)
      広島東洋カープ(1995年~2006年)
      読売ジャイアンツ(2006年~2009年)
タイトル  特になし

広島東洋カープでは長島選手が中日に移籍した後も、伝統的に背番号0をつける選手が続きます。そのなかでも、とくに活躍をした選手が木村拓也選手です。

木村選手は1994年のオフに、広島のスター選手であった正田耕三選手の後釜として、日本ハムファイターズから移籍しました。広島では二塁手を本職とするものの、外野・内野を問わずに守れる、ユーティリティー選手として活躍をしました。

ちなみに、内野手のなかでも投手と捕手だけは特別なポジションとなりますが、木村選手は捕手としても公式戦で4試合プレーを行った経歴があります。

プロ野球に入団後、スイッチヒッターに取り組み、努力を重ねた末、一番打者として活躍する選手になりました。

川相昌弘選手

生年月日  1964年9月27日
出身地   岡山県
投/打   右/右
プロ野球歴 読売ジャイアンツ(1983年~2003年)
      中日ドラゴンズ(2004年~2006年)
表彰歴   ゴールデングラブ賞6回

川相選手は守備固め要因としての起用から、後にレギュラーの座をつかんだ選手です。その川相選手の代名詞といえば、バントなどの犠打です。

1991年に記録した年間66犠打は、後に、ヤクルトスワローズの宮本選手に抜かれまで、プロ野球記録でした。川相選手が持つ通算儀打数533本は、世界記録として輝いています。

ちなみに、川相選手は24年間の現役生活のなかで、4回も背番号が変わっていますが、もっとも長くつけていた背番号0のイメージが、私たちの記憶に一番残っています。

大和(前田大和)選手

生年月日  1987年11月5日
出身地   鹿児島県
投/打   右/右・左
プロ野球歴 阪神タイガース(2006年~2017年)
      横浜DeNAベイスターズ(2018年~)
表彰歴   ゴールデングラブ賞1回

現役選手のなかで、もっとも背番号0にふさわしい選手といえば、登録名「大和」の前田大和選手です。残念ながら、大和選手は2018年度に横浜DeNAベイスターズに移籍をしたことで、背番号が9番に変わりましたが、阪神タイガース時代の背番号0の印象が強く残っています。

スイッチヒッターとしてのバッティング、そしてユーティリティー選手として定評のある守備が魅力の選手でした。機敏で機動力のある選手が多い、背番号0のイメージにふさわしい選手です。

初芝清選手

生年月日  1967年2月26日
出身地   東京都
投/打   右/右
プロ野球歴 千葉ロッテマリーンズ(1989年~2005年)
タイトル  打点王1回

初芝選手は大型の長距離バッターとして、千葉ロッテマリーンズ一筋に活躍し、「ミスターマリーンズ」と呼ばれていました。

初芝選手は入団から5年間、背番号0をつけ、それまで背番号0の持つ「機敏で機動力のある選手」のイメージを、覆した選手でもあります。

当時の落合監督に「背番号0」は似合わないといわれ、自分のつけていた背番号6を渡されましたが、ファンには背番号0のイメージの方が強く残っています。

エクトル・ルナ選手

生年月日  1980年2月1日
出身地   ドミニカ共和国
投/打   右/右
プロ野球歴 クリーブランド・インディアンス(2006年)
      トロント・ブルージェイズ(2007年~2008年)
      フロリダ・マーリンズ(2010年)
      フェラデルフィア・フィリーズ(2012年)
      中日ドラゴンズ(2013年~2115年)
      広島東洋カープ(2016年)
タイトル  特になし

ルナ選手は中日ドラゴンズに所属していた3年間、背番号0をつけていました。外国人選手として初めて背番号0をつけた選手です。

広角にヒットを打ち分ける、バッティングセンスの良い選手として活躍しました。23試合連続でヒットを放つなど、常に打撃ランキングの上位にいる選手でした。



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まとめ

今回は、野球における背番号0の意味と、背番号0をつけて活躍した選手をご紹介しましたが、いかがだったでしょうか?

スポーツ界ではサッカーをはじめ、背番号をつけるスポーツは多いですが、0をつけられるのは野球だけというのは意外でしたね。

日本のプロ野球で30年程度とまだ歴史が浅い背番号0ですが、これからますます活躍する選手が出てくるのではないかと、楽しみにしましょう!

最後までお読み頂き大感謝!みっつでした。



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